正敬寺とは

浄土真宗本願寺派 西照山 正敬寺
(さいしょうざん しょうきょうじ)

宗派・名前について

正敬寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
本山は、京都の西本願寺になります。

「浄土真宗」 - 浄土真宗は全部で10の宗派に分かれています。 本願寺派というのは、京都の西本願寺を本山とするお寺のことで通称「お西さん」と呼ばれています。 ちなみに、京都の東本願寺を本山とするお寺は、大谷派と言われ通称「お東さん」と呼ばれています。

「西照山」 - お寺には屋号のようなものがついている場合が多くあります。これは、人の名前で言えば、苗字のようなものです。普通にお寺の名前を言う場合、正敬寺だけを言います。

また読み方に関しては、よく「せいけいじ」と間違われるのですが、正しくは「しょうきょうじ」と読みます。

外装

正敬寺の外装は、山門と呼ばれる門(上記写真)と、本堂からなります。
本堂自体は、もともと400年ほど前からありましたが、
数年前から柱がもたなくなり、危険だと判断し、2012年に建て替え、鉄筋になりました。



最初はみなさん驚かれますが、中に入ると、
普通の本堂と同じで、綺麗にもなっているので、喜んでいただけているようです。
また、お越しの際は、事前にご連絡頂ければ4台まで駐車可能です。
(※ ご連絡に関してはこちら

お寺の中

1階 本堂内部

ご本尊は阿弥陀如来さまです。

お寺の中は、畳なのですが、法要の時には椅子を並べています。

(2014年 お彼岸法要の様子)

2階 納骨堂

2階は納骨堂になっています。



納骨堂は、2013年より設置致しました。

納骨形式は、
お骨の全てを安置するロッカー型の納骨壇と、
本骨(のど仏)のみを安置する阿弥陀如来内仏の2形式です。

これら、納骨堂に関しては、
質問されることが多かったので、こちらにまとめてさせて頂いています。

納骨堂の詳細について

必要があれば、ご確認ください。

場所について

正敬寺の場所は、大阪府八尾市の南の端の太田という村にあります。 昔から、木の本・太田・沼の三つの村を併せて大正地区と呼び、この地区だけで浄土真宗の寺院が七ヶ寺あり、 昔からお念仏の声であふれていたものと考えられます。

また、もし来られる際は八尾南の駅からバスが出ています。 地図などは こちらのページ の下に記載してありますので、ご確認ください。

時間の目安としては、八尾南駅からは車で5~10分、久宝寺駅からは15分程度です。
また、バスで「太田」の停留所からは、徒歩で3分~5分程度です。

本堂の横のお地蔵さん

正敬寺に来られると、本堂の横(北東の角)にお地蔵様が祀られていることに気がつくかもしれません。

これは、詳しい資料が残っていないため正確なことは分かりませんが、 慶長19年・20年、このあたりの地域も「大阪冬の陣・夏の陣」の戦場となり、 戦場から村を守りたいという民衆の願いからお地蔵さんが立てられようです。

現在の正敬寺の活動は、毎月1回のご法要・ご法座、悩みの相談・寺報の発行等を行い、宗祖親鸞聖人が私たちに伝えてくださった念仏の道を日々の生活とどう結びつけ、それをどのように伝えていけばよいかと悩みながら活動している毎日です。

御本尊

【ご本尊】 阿弥陀如来

【教え】
阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願力 (ほんがんりき) によって 信心(しんじん)をめぐまれ、 念仏(ねんぶつ)を 申(もう)す 人生(じんせい)を 歩(あゆ)み、 この世 (よ)の縁 (えん)が 尽(つ)きるとき 浄土(じょうど)に 生(う)まれて 仏(ぶつ)となり、 迷(まよ)いの 世(よ)に 還(かえ)って 人々(ひとびと)を 教化(きょうけ)する。

阿弥陀如来像 阿弥陀如来像 阿弥陀如来像

 

住職の紹介

子供の頃、父が僧侶で学校の先生だったためか、 僧侶と学校の先生だけは絶対なりたくないと思っていた私が僧侶になり、学校の先生になった。 しかし、兄がお寺を継いでいたので正敬寺の住職にならなくていいと思っていた。 しかし、その兄も亡くなり結局、正敬寺の住職になった。 人生そうなるようになっていたのか私にはわからない。人生とは皮肉なものですね。

 

住職略歴
1950年 大阪府に生まれる
1975年 龍谷大学、大阪教育大学卒業
1977年 浄土真宗本願寺派の僧侶となる
東大阪市の教員、東大阪市教育委員会指導主事
2003年3月 同教育委員会退職
2003年4月 正敬寺の住職になる。2003年4月より2年間龍谷大学にて浄土真宗の教えを再び学ぶ

住職のブログは、こちらで、不定期に更新中です。

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