隣近所の人間関係が濃密な時代

 数十年前まで「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が当たり前のように言われていた。これは、何かあれば隣組などの他人の世話にならなければならないという意味合いで使われていた。一言でいえば、それほど人間関係が濃密な時代であったことを意味しているのだろう。

葬儀はもちろん結婚式までも

 例えば、昭和の30年代は葬儀はもちろん結婚式も自分の家で行っていたのは珍しいことではなかった。その時に、親族以外にも隣組の人たちにも参列していただくのは当たり前の時代だった。

 そこで、隣組の人たちにどうしても協力をお願いしなければならないことがあった。結婚式に出す料理の準備である。料理を家族と一緒に作っていただかなければ参加者の料理を賄い切れなかった。むろん、これは結婚式に限った事だけではない。葬儀も同様である。葬儀の時に出す料理も家で作っていたのである。冠婚葬祭では隣組の協力なしでできない時代であった。

時代とともに少しずつ変化が

 それがひとつひとつなくなってきた。まず、結婚式は家では行わずホテルなど家以外のところで行うようになった。
 そして、葬儀は、家で行わずお寺を借りて行ったり、その地域で葬儀のできる決まった場所で行うようになった。そして葬儀の時の食事は仕出し屋などで賄うようになり隣組の負担が非常に軽くなった。最近では、その葬儀も家族葬が中心になり隣組の世話にならなくてもよいようになった。

わずらわしさがなくなったが・・・

 結果として濃密な人間関係が、希薄になった。その結果「さみしさが」きついという人が現れた。しかし、逆に濃密な人間関係な時代は、わずらわしいという人もいた。どちらがいいかと言えばなんともいえない。
遠くの親戚より近くの他人。時代が変われば言葉も変わる。
いまは、何になるだろうか。