「正信偈」のあれこれ

「正信偈」は浄土真宗の日常のお勤めですが、「正信偈」って一体何? との声をよく頂きます。そこで、何回かに分けて、「正信偈」がより身近になるお話を書いてみたいと思います。

蓮如上人がはじまり

 浄土真宗において、「正信偈」は日常のお勤めとして親しまれておりますが、それは親鸞聖人のときからのものではなく、実は、本願寺第八代宗主・蓮如上人が定めた形式です。
 それまでは、善導大師という中国の僧侶がお作りになった『六時礼讃』というお勤めを一日に六回することになっていましたが、それは大変です。そこで、朝夕の二回とし、誰もがお勤めできるようにと、平易な「正信偈」をお勤めするようになりました。ちなみに、現在の節は、昭和八年の第二十三代宗主・勝如上人の時に定められたものです。

「善導独明仏正意」の音が上がるワケ

 ところで、「正信偈」をあげるとき、「善導独明仏正意」から音が上がることについて疑問に思ったことはないでしょうか。実はこれ、現時点で直接的な史料に基づく説はなく、様々な俗説があるのみのようです。いくつかあげてみると、次のようなものがあります。

▼重要だから
 「善導独明仏正意」の「善導」とは、善導大師という中国にいた僧侶で、親鸞聖人と、その師・法然聖人までもが非常に影響を受け、尊敬された方であり、前述の『六時礼讃』の著者でもあります。そこで、その善導大師の素晴らしさを称えるために、音を上げて読むと言われている説があります。

▼嬉しくて声がうわずったから
 かつて本願寺は石山本願寺と言われ、かの織田信長と戦(石山合戦)を繰り広げていました。その長きにわたる戦中、信長との和睦成立の知らせが当時の本願寺宗主・顕如上人の耳に届きます(所説あり)。
 それは、ちょうど顕如上人がおつとめの最中で、「善導独明仏正意」を読む直前でした。顕如上人は、安心され、喜ばれたために声がうわずりながら「善導独明仏正意」を読みました。それ以後、音を上げて読むようになった・・・というものです(詳細は不明)。

お勤めが出来なくても

 現在では、朝夕二回のお勤めすら大変な時代になってきていますが、そのような時こそ、一日のどこかで、お仏壇の前で手を合せ、心を落ち着かせる時間を作ることが大切になるのではないでしょうか。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ