浄土真宗の話を聞いたことがある方なら、阿弥陀様は、すべての人を すくう 仏様ですよ。
という話を聞いたことがあるかもしれません。

それは、いったい、もとはどのような教えなのでしょうか。
これには、阿弥陀仏という仏様が、どの様に生れたかと言うお話が関わってきます。

なぜ、すべての人が すくわれる のか?

真実の経とは

親鸞聖人の代表的な著書である、『顕浄土真実教行証文類』けんじょうどしんじつ きょうぎょうしょうもんるいには、

それ真実のきょうあらわさば、大無量寿経だいむりょうじゅきょうこれなり

とあります。
つまり、真実のお経とは『大無量寿経』であると言うのです。
『大無量寿経』とは、『仏説無量寿経』ぶっせつむりょうじゅきょうのことです。

『仏説無量寿経』の物語

では、『仏説無量寿経』には何が書かれているのでしょうか。
これは、そのお経の中に出てくるお話です。

昔、あるところに、一人の王様がいました。
王様は、世自在王仏せじざい おうぶつという仏様のお話を聞き、とても感銘を受けました。
そこで、自らの王位を捨て、仏道に入られ、法蔵ほうぞうと名乗られ、修行者(菩薩)ぼさつへとなりました。

法蔵は、生きとし生ける苦悩する者を救いたいというお願いをおこし、
師となった世自在王仏へと、その決意をべました。

願わくは、わたしも仏となり、
この世自在王仏のように、迷いの人々をすべてう救い、
さとりの世界に至らせたい。

法蔵の固い決意をきかれた世自在王仏は、
「それは不可能に近く、至難の業ではあるが、その決意が不退転ふたいてんであならば、願いは果たされるだろう」

と激励し、法蔵に諸仏の浄土の世界をお見せになられました。

法蔵はその中から、特にいいと思うものを選び取り、真に理想となる浄土を描きました。
そしてそこに、人々を生れさせたいとう願いを建てました。

その願いをより具体的に描くのに、五劫ごこうという時間をかけ、
ついには、48個の願い、「四十八願」しじゅうはちがんを建てました。

さらに法蔵は、その願いを完成させるために、
兆載永劫ちょうさいようごう(永遠ともいわれるほどの時間)の修行を行いました。

そしてついには、それを完成させ、
理想の浄土を西方に建立され、極楽浄土とし、
法蔵自身もまた、悟りを開き、仏となり、阿弥陀仏あみだぶつと名乗られました。

これが、阿弥陀仏という仏様の物語です。

まとめ

このお話の中の48個の誓いは、そのどれもが、

「私が仏になるとき、~出来ないようなら、私は仏にはなりません。悟りを開きません。」

という内容でした。
中でも、18番目の願いには、「すべての人を必ず すくう」と誓われました。

そしてこれが、法蔵の根本の願いだったことから、「本願」と言われており、
浄土真宗の教えで、「阿弥陀様は、すべての人を すくう 仏様ですよ。」と言われることの根拠になっている部分です。

この本願(第十八願)を載せておきます。

第十八願文と現代語訳

たとひわれぶつたらんに、十方じっぽう衆生しゅじょう至心信楽ししんしんぎょうしてわがくにしょうぜんとおもひて、乃至十念ないしじゅうねんせん。もししょうぜずは、正覚しょうがくらじ。ただ五逆ごぎゃく誹謗正法ひほう しょうぼうとをばのぞく。

現代語訳

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えをそしるものだけは除かれます。

ところで、わたしたち現代人は、こういった物語を聞くと、
心のどこかで作り話だろう、と思ってしまいがちです。

ですが、これは、作り話としてではなく、仏様の真実の世界が、物語として私たちの世界にあらわれてくださったものだと受け止めてみてはいかがでしょうか。そうすると受け止め方も随分と変わりるかもしれません。

参考文献

村上速水『親鸞教義とその背景』(永田文昌堂、1987年)
小池秀章『高校生からの仏教入門』(本願寺出版 2011年)
浄土真宗教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典 註釈版』第二版(本願寺出版社、1988年)
浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会編『浄土三部経(現代語)』(本願寺出版社、1996年)