亡くなった方の死を無駄にしない

「七日参りはなぜ必要なんですか」と聞かれることがあります。
その質問をあなたはどう思いますか。と尋ねると、

「昔からやっているから」という人がほとんどです。

そこでまずお応えするのは、「亡くなった方の死を無駄にしないため」だということをお話しします。

心から故人を偲びお参りする

なぜかというと、日頃心から手を合わせることがない昨今ですが、
身近な方が亡くなると人は自然と手を合わせるものです。

きっと多くの方が仏壇に向かって手を合わせた経験があると思います。
つまり、亡くなった方を偲び心からお参りをすることで仏法に出遇うことに意味があるのです。

浄土真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、
生きている間に、必ず浄土に生まれることが出来ると約束されます。(現生正定聚)

ですので、追善供養を前提とした七日参りでは無く、故人の死を縁として、
私達が仏法に深く出遇うための仏縁となるのです。

これが故人の死を無駄にしないということです。

七日参りの事を中陰とも言います。

ですが、一般的な意味はこのようなものです。

七日参りの事を一般に中陰(ちゅういん)と言います。
中陰とは、生あるものが死んで、次の生を受けるまでの中間の期間のことです。この期間は49日間あります。

この期間に、生きている遺族が満中陰(49日)までの七日毎にお勤めをあげます。
そして、僧侶が経を唱え、善行をこちらの世界から、あちらの世界へ届ける、いわゆる追善供養の意味合いが持たれます。

仏教でいう五つの罪(五戒)

どのような方でも生きているうちに、罪を犯します。
あなたも、私も、亡くなった方もそれは同じです。
こう言うと故人は罪なんか犯していないという答えが返ってきます。

ここで言う罪とは、犯罪のことではなく、仏教で言いう罪です。
仏教で言う罪とは、五戒と呼ばれる、5つの戒律を破ることです。

五戒とは、生き物を殺してはいけない。これを不殺生といいます。次に淫らな男女関係を行ってはならない。不邪淫といいます。その次が盗みをしてはならないこれを不偸盗といいます。その次が嘘をついてはいけない。これを不妄語といいます。最後にお酒を飲んではいけない。このことを不飲酒といいます。

心で持っただけでも

この五つの事を行動を伴ったことはもちろん、言葉にしたり心に思っただけでも同じ罪を犯したことになるといわれています。このような考え方をしてみますと罪を犯したことのない人などいないといい手も過言ではありません。

そうして、罪を犯した故人に対して、
遺族が満中陰(49日)までの七日毎にお経をあげます。

経を唱え、善行をこちらの世界から、あちらの世界へ届けるわけです。
善を追加する、いわゆる追善供養です。

七回目の七日参りの事を中陰が満了するので満中陰と言います。地域によってはちょうど49日目にあたるので49日(しじゅうくにち)という言い方をします。

これが、一般的な七日参りの意味です。
(※ 浄土真宗では解釈が少し違うように、宗派によって解釈が少しずつ違うかと思います。)

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