あなたは、亡くなった方との、繋がりを感じることはありますか。

感謝する法要

今年もお盆の季節がやってきました 。 皆様はお盆をどのように過ごされているでしょうか 。 お墓参りに行ったり、御仏壇に手を合わせたりされている方も多いことと思います。その時皆様はどのような思いで 手を合わせているのでしょうか。何かお願い事をされている方、なんとなく手を合わせているという方もおられると思います。 ですが浄土真宗においてお盆とは「感謝」なのです。

つまり、いつも私たちを見守って下さっている、ご先祖様や阿弥陀様に対して「感謝」をするという法要なのです。

お念仏と共に生きる私たちの御本尊様は阿弥陀如来様です。 そして私たちは、命が終わったそのとき、阿弥陀様のはたらきによって浄土に生まれるのです。 それは言ってみれば引越しのようなもので、住む場所が変わるのです。 この世での命は終わりますが、阿弥陀様の国に生きることになるのです。 そしてお浄土に往(ゆ)くと、阿弥陀様のはたらきにより、阿弥陀様と同じ悟りをいただき、菩薩様と同じ姿となり、 阿弥陀様と共に縁のあった方々が仏縁に出遇えるように活動するのです。

そのため、ご先祖様は阿弥陀様のはたらきにより、しっかりと成仏されています。 そして阿弥陀様と共に縁のあった人々、つまり私たちのことを常に見守り続けてくださっています。 その事に対して感謝するのが浄土真宗のお盆なのです。

存在を感じる

よく亡くなった人とはもう会えないですね。と寂しそうに言われることがあります。 もちろん亡くなった方とは会うことはできません。寂しいことですが・・・。
ですがその存在は、感じることができるかもしれません。

今は夏ですが、もう少しするとだんだんと涼しくなります。木々が色づき始めます。 そういった自然の変化に気がついたとき、ああ秋が来たんだなあと感じることができます。 冬の寒さが和らぎ、桜の花が咲き始めると、ああもう春なんだなあと感じることができます。 それと同じように、亡くなった方の存在も、その働きを知り、気が付くことで、身近に感じることができるかもしれません。

常にみまもられている

浄土真宗では、御本尊に向かって、「南無阿弥陀仏」と称(とな)えます。 私たちからすれば自分の意志で南無阿弥陀仏と声に出していると思うかもしれません。 ですが、本当は阿弥陀様の側から、私たちに、お念仏を称えさせているのです。 阿弥陀様という仏さまには明確な形がありません。実体がなく、光そのものの存在なのです。 この阿弥陀様がお姿をとられたとき、仏像となります。音になって現れたとき、「南無阿弥陀仏」という声になります。 そのお念仏(南無阿弥陀仏)が声になって出ているということは、 阿弥陀様がそこにおられ、見守ってくださっているということなのです。 そしてその仏縁を結ぶきっかけを作ろうと、はたらきかけてくださっているのが、ご縁のあった方々です。

先ほども申し上げましたが、亡くなった方は、お浄土で阿弥陀様と同じ悟りをひらかせて頂き、 菩薩様の姿となり、阿弥陀様とともに縁のあった方々を仏縁に遇わせ救うという活動をします。 それは、菩薩様たちにとっての遊行、喜びなのです。

小さなきっかけから

今まで仏教と何のご縁もなかった方でも、お盆や法事という機会を通して南無阿弥陀仏と称ることがあると思います。 逆に、小さな頃から家の習慣で何となく「南無阿弥陀仏」と称えている方もおられると思います。 仏教の勉強をするうちに称えるようになった方もおられるでしょう。

ですが、考えてみれば不思議なもので、何もないところから「自分だけ」の意思で南無阿弥陀仏と称えるようになった方はいないのではないかと思います。 皆さんきっかけは違いますが、周りの影響が少なからずあり、お念仏を称えているのではなでしょうか。 そしてその周りの影響というのが、生前、自分にご縁のあった方々の「はたらきかけ」なのです。 今日、ここをご覧になっているのも、何かきっかけがあってのことだと思います。 小さなきっかけから、徐々にお念仏を称えるようになっていくものなのです。

繋がりを感じる

そんなことに気が付くと、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えるとき、 亡くなったあの方と心が通じているように感じられるかもしれません。